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そのうち、「腕を上達させるには一度東京へ行きたい」と言い始め、私どもの反対にも耳をかしません。「気のすむように」と上京させることに決め、布団を包み一緒に駅に送り出しました。
しかし、知らぬ人と初めての場所で長続きするわけがありません。十日位して帰って来ました。やっぱり心配していた通りでした。食事が違い、休む時間も少なく疲れるばかり。客も盛岡の何倍と多く、中には本人にチップもくれる人もいましたが、仕事はフル回転できびしい。「世の中は自分の思うようにはいかない」と知ったようです。
「理容よりもっと自分に合った仕事がないだろうか」と自動車台社に勤めました。部品を直し重い機械を上下し溶接もしました。溶接ですっかり目を悪くして眼科医に通いました。その幸かったことにも負けずに頑張り、溶接技術はプロ級になり、鉄工所の社長さんが、「是非、私のところへ来るように」と家まで頼みにこられました。
だが、「自分は耳は駄目、この仕事を続ければ目を悪くして両方を失う」と考え鉄工所はお断りしました。新聞記事で歯科技工の募集を知りました。一緒に私も行き聴覚障害であることを話し、「口の開きで話すことを知っている。短い言葉はわかる。面倒だが仕事をさせて下さい」とお願いし採用されました。
手仕事が得意な息子は、やっと生きる道を見出し、現在に至っております。お蔭さまで職場結婚もして、自分の稼いたお金でハワイで結婚式をあげ、孫娘にも恵まれて幸せな生活を送っております。孫娘と妻は健聴者で私と主人(旧警察署長)と五人、賑々しく暮らしております。

 

 

 

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